関わり方

見守る

川口正人です。

今週は鏡を倒してしまった
ある子の顔を思い浮かべながら
「見守る」について考えました。

見守りの大切さを伝えるときに
一番難しく勘違いしてしまうのが
「なるべく声をかけないで見ていること」が
見守ることだと思ってしまうことだと思います。

大切なのはその行動や言葉を聞いたときに
自分がどう感じたかではないでしょうか?

見守るとは決して無関心ではなく
自分がもし同じことをしたら
どんな気持ちになるのか
その子は今、何を感じているのか
と、一緒に味わうことであると思います。

危ないことや、此方の都合の悪いことを
しやしないかと監視の眼ではなく
一緒にその時間、空間を感じることだと思います。

ただ、本当に危ないことや、
してはいけないことをしそうな時は
その前に止めて下さいね。

見守ることが大事
余計な声かけはしないと
マニュアル化してしまうと
無秩序な空間になってしまいますね。

信号は赤では渡らない事が大事で
それを守らないと事故になってしまいますね。

その子がやりたければ何をやっても良い
というわけではありませんが、
規制が多い世の中ですから
仕方ないのかも知れませんが、
せめて10歳ぐらいまでは
自分のことを感じてくれる大人が
見守ってくれる環境の中で
のびのびと暮らしを重ねて行けたら良いな~と、思います。

鏡を倒してしまった時の彼の表情は、
何にも変えられない大切な事を
学んだ瞬間だったと思います。

そんな気持ちで
ガンピーさんのふなあそび
を読んで見てください。

***

吉村正浩です。

以前Facebookで「正しい叱られ方」
という投稿をさせていただきました。

「叱る」という行為は
その子のためを思っての行為ですので,
当然「正しく叱る」ことができたら
叱られた子も愛情を受け取ることができるはずです。

叱ってくれる大人,
見守ってくれる大人の存在が
感じられるからこそ
余計な心配や不安を感じることなく
自由な活動ができるようになるのだと思います。

もしもの時は止めてくれたり
助けてくれる大人がいるから挑戦できる。

間違ったことをしてしまった時は
指摘し,叱ってくれる大人がいる。

だからこそ安心して一歩を踏み出すことが
できるのではないでしょうか。

監視されている中だと,監視の目に
引っかからないかだけに意識がいってしまい,
出来るかどうか,
良いか悪いか,
正しいか間違っているか,
といった判断を自分でせず,
他人の目が判断基準となってしまいます。

小学校ではよく,
「先生に言うからね!」
という決め台詞が聞こえてきます。

私は,
「そうですか。教えてくれてありがとうね。」
とだけ答えるようにしていました。

先生に言うことが思っていた解決にはつながらない。
けど,何かあった時は対応してくれる。
そんな関係でありたいと思っていたためです。

また,「先生が言っていた」という言葉も聞こえてきます。
そこは,「そうですか。それで,あなたはどう思うの?」
と,返していました。

自ら考え,判断することを
大切にしたいと思っています。

そのため,自分で考えて,判断し,
行動した場合は絶対に叱らないようにします。

それが困った結果につながった場合は
一緒に困り,改善方法を考えるようにしていました。

(いわゆる)失敗は悪いこと,避けるべきことではなく,
新しいこと,楽しいことに挑戦している過程です。

苦しい思い,痛い思い,恥ずかしい思い,苛立ち等,
小さいものは大切な経験となりますので,
(いわゆる)失敗をすることも
見守っていきたいと思います。

でも,止めるべきところは
判断して止めなければならない。
そこの見極めが本当に難しい!
よく考え,後から振り返り,
スタッフでも相談しながら試行錯誤の毎日です。

***

~川口正人おすすめの絵本~

ジョン・バーニンガム 著
「ガンピーさんのふなあそび」
( https://www.amazon.co.jp/dp/4593500303 )

新版
( https://www.amazon.co.jp/dp/4593101824/ )