関わり方

大人の便利は子どもにも便利?

川口正人です。

世の中いろいろ便利な物がありますね。

面倒な家事や仕事の簡素化や
時間短縮で効率良くして、
余った時間でちょっとお茶したり、
そんな余裕の時間は忙しい大人には必要ですよね。

いろんな不便さを経験して
知恵をしぼって作り出してきた道具達ですが、
これからその経験をしてゆく子ども達にはどうでしょうか?

登山を例にすると,自分の足で登った時の
頂上で味わう達成感や汗の心地好さと
ヘリコプターやロープウェーで味わう頂上とは
別格であり別物だと思います。

楽して手に入れた物事は
簡単に手放してしまいがちですよね。

苦労して手に入れた物事は宝物になっていませんか?

子育ても苦労の連続ですね。
子育てという未知の経験をしている真っ最中の私たち大人は
その経験を経て「親」になっていくんでしょう。

苦労して、悩んでもがいた分、
大人になった我が子の寝顔に幸せを感じられるのは
「親」だけの宝物ですよ〜。

今の便利さが何の為に必要なのか、
それが何を積み上げて行くのか
今一度考えてみませんか?

便利さを求めるより
不便を楽しめるようになりたいですね。


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鈴江知明です。

私達は、子供達にとにかく
「不便を味わって欲しい」と思っています。

不便を感じてから、初めて
「どうにかならないものか?」
と自分で考えるからです。

先日、いつもの川に遊びに行きました。
蟹を捕まえようと、
細くて長い枝2本を皆持ち始めました。

「これで捕まえるの??」
「うん!これで挟みうちするの!」

一所懸命、30分ほど格闘していたでしょうか。

もちろんそんな物では捕まえられません。笑

でも私達は何も言いませんでした。

いつ頃氣づくかなぁ^_^笑

来週か再来週くらいには、
「柄杓を持っていく!」
とか言い出すのかなぁ♪
捕まえた蟹を入れるタライも持って行く!
と言い出すかな〜。

子供達が自分で氣づいて自分で進化していく様を、
ワクワクしながら見守っています。
(さりげな〜く、提案をする事もありますよ。)

始めから便利な道具やアドバイスを
与えてしまっては、
考える機会を奪ってしまいますよね。

道具を使うようになるまでの
【過程】を大切にしたいです。


因みに我が家で拘っているのが、
「鉛筆削り機」です。
電動タイプやハンドルを回すだけで
簡単に削れる機械を
当たり前に小学生は持っているでしょうが、
我が家は絶対に買いません。笑

自分で鉛筆をグリグリ回さないと削れない、
あの小さな簡易なタイプのみです。

手首をしっかり捻る機会が
大人も子供も減っていますからね。
(しかし削り途中でよく折れるので大変。笑)

昔は鉛筆を削るのに小刀を使っていたのですよね。

便利な道具が登場する度に、
人間の本来持っている能力は
低下してしまっているなぁと感じる昨今です。

皆さんも、何か便利なグッズがあれば
「これで得られるものは何か?」
「これによって失われる力は無いか?」
という視点で見ていただきたいなと思います♪


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吉村正浩です。

今回のテーマは「便利さ」ですが,
「効率性」や「合理性」といった言葉も
類似した概念と感じました。

これらの言葉は一般的に「良い」
と考えられているものです。

しかし,本当にそれで良いのか?
ということはいつも考えなければならないと思います。

おむつ一つとってもそうです。
今のおむつは快適(想像で!)です。

大人にとっては簡単に取り替えて捨てられます。
子供にとっても不快を感じずに済みます。

でもそれは「良い」ことなのでしょうか。

便から得られる赤ちゃんの
健康状態の情報はたくさんあります。
おむつを洗う時,何を考えるでしょうか。
赤ちゃんが感じる「不快」も大切な経験です。
不快を感じることが次の行動へ,
それが成長へとつながるのだと思います。

便利さ,快適さは同時に
たくさんの経験をスキップしていること。

それは頭に入れておいた方が良いのかもしれませんね。

てくてくの暮らしを支える大人は
仕事として,てくてくで暮らしています。

その目的は,子供たちにとって最善と
今の私たちが考える環境を用意することです。

ですので,家庭とは判断基準が違うかもしれません。
そこは時と場に応じてということで良いのかなと思っています。

ちなみに,子供の時から
鉛筆はカッターで削っています。
ある時,かっこいい!と思ったからです。

めんどくさい

そう思った時,「より効率的にするには」と考えるのは大切です。

めんどうだからやらないなら,
寝てるのが一番ですね。
食事も排泄も,管をつないで貰えば最高です。
でもそれは私は嫌です。
なぜか??
それを考えると,
楽しさや豊かさが分かる気がしています。